感想『河畔の街のセリーヌ』日之下あかめ 3巻

ヒューマンドラマ


※ネタバレあります。ご注意ください。

あらすじ

いきなりデートしようとナンパされて言葉が出ないセリーヌ。

ナンパしてきた男性は今日働いている書店の息子だった。

彼はどうらやセリーヌが読んでいる本を見て、今日行われる女子教育講座を見せてやりたくなったらしい。

違う思惑もあると怪しい言葉を言う息子にセリーヌは仕事中だからと店主が断るが、なら本の配達ついでなら良いかと提案してきた。

その提案に店主が「まぁ確かに…」とあいまいな返事をするや否やすぐにセリーヌを外に連れ出した息子トマ。

セリーヌがトマに連れていかれたのは大学だった。

トマから教授と話をするから少し待つようにとパスカルの『パンセ』を渡されたセリーヌは素直にそれを読みながら待つことに。

セリーヌが本を読み始めると周囲の男性達がじろじろと見始め、1人の男がある言葉をセリーヌに掛けてきたのだった。

感想

完結しました。

表紙を見た時に今までセリーヌが出会った人達が書かれていたのでまさか完結…?と思っていたらそのまさかでした。

セリーヌが先生の教えを思い出しながら自分自身で考えるようになり、これから自分を教え始めます。

  

日頃触れない哲学者の名前や名言が出てきて、私もセリーヌと一緒に学んだような感覚になりました。

エミール教授の「誰も君を害せず、君は一人の敵をも持たないだろう」はローマの哲学者エピクテトスの言葉で調べてみたらエピクテトスはストイックの語源とされるストア派の1人らしい。

エピクテトスは自分の力でどうにかできるものだけを自分のものと思って、他人のものは他人のものと認めるのなら誰もあなたを妨害せず、一人の敵も現れないし、あなたの不利なことは一切起きないだろう、的なことを言っている様です。

 

14話でキオスクが出てきて、駅によくあるキオスクってこれが由来なのか!?と感動。

キオスクの由来を気にしたことがなかったですが流石に気になったので調べてしまいました。

語源はペルシャ語で「日陰をつくるもの」だそうです。

漫画の時代のパリはキオスクが増えすぎて歩行者の邪魔になっていたというので想像したら笑えてきました。

そんなキオスクで働くセリーヌのところには色んな客がありがた迷惑な言葉を言いながら新聞を買いに来ます。

新聞ってのはこれのことだ、だの、この新聞を読まねば、だの、聞いてもいないことを言い残していきます。

真面目なセリーヌは聞き流すことなく、その人その人の考え方なのだと受け止めますが受け止め過ぎて疲れてしまう。

そんなセリーヌにルネさんは14歳相手に難しい話をしますが流石セリーヌ、何か理解したようです。

ルネさんの言葉に私もそんな風に思ったことなかったなぁとしみじみしてしまいました。

自分と相手の考え方が違っていても相手を認めているのなら一個の考え方の枠から外れない。

ただ自分がどの範囲をどういう風に照らすのかを自分に問わないといけなくて、自分の信条の灯を明るくして勇気と共に歩くしかない。

言うのは簡単ですが難しいですね…。

 

セリーヌは朧気になっていく先生の記憶に怖くなっていましたが、これからは先生からだけではない色んな人から色んなものを受け取って自分で考え前を歩いていきます。

もう少し色んな話が読みたかったし、大人になったセリーヌが見たかったですがこれはこれで良しです。

 

出来ればセリーヌが自分の絵を見るタイミングが画廊であってほしかった。

ちなみにデュラン=リュエル画商も実在しました。 

 


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